いつの間にかアザラーになっていたお話
最北の水族館での邂逅
2023年3月。私は北海道稚内市に在る最北端の水族館、ノシャップ寒流水族館にいた。
本州では桜の蕾が膨らみ、うららかな日差しが心地よく感じる季節である。一方、この最北の地はすぐそばの海から冷たい風が容赦なく吹き付けていた。まだまだ春の気配は感じられない。
フェンス越しに覗いた先には、水を抜かれたプールの床でゴロゴロと横たわるアザラシ、アザラシ、アザラシ…
「ヴァー!」という雄叫びが上がったかと思うと、お腹を叩く音が響き、あちこちで小競り合いが起こる。
アザラシといえば、優雅に水中を泳ぎ、陸上では給餌の時に魚を食べるかスヤスヤと寝ている平和な姿しか知らなかった私は、初めて見る光景に一瞬言葉を失う。
数年前に道東の野付湾で初めて野生のアザラシを見た時だって、彼らはアマモという植物の上でスヤスヤ寝ていた。
アザラシとは、のんびりごろごろしている生き物だと疑いなく信じて過ごしていたが、野生以上にワイルドな光景を目の当たりにしてただ驚くばかりであった。
そんな騒々しいアザラシたちとは少し離れた場所で横たわる一頭のアザラシの影で、何やら白く小さなものがもぞもぞと動く。
ころんと転がるように体勢をかえた白い毛玉から小さな顔が現れた。
うるうると水分をまとった瞳でこちらを見たのは、数日前に生まれたばかりのゴマフアザラシの赤ちゃんだ。
衝撃だった。
この世にこんなに可愛い生き物がいるなんて。
のたのたと動き、見た目からは想像できない野太い声で鳴いたかと思えば隣のアザラシのお腹に吸い付く。
どうやら隣にいたのは母アザラシのようだ。
アザラシの赤ちゃんを見るのも、授乳中の姿を見るのも初めてだ。目の前で繰り広げられる、まだ始まったばかりの命の物語に強く胸を打たれた。
自宅に戻ってからもアザラシの赤ちゃんのことで頭がいっぱいだった。
SNSで旅の写真を投稿しようと作ったばかりのアカウントをすぐさまアザラシ専用に転換し、アザラシに関係するアカウントを片っ端からフォローしてはタイムラインを埋め尽くす可愛いアザラシの写真を楽しんだ。
アザラシ愛好家のことを「アザラー」と称することもこの時に初めて知った。

この時の赤ちゃんアザラシは、空生と名付けられた
新たな出会い 丸すぎるアザラシ
夢中になってアザラシの事を調べていくと、全国各地の施設でアザラシの赤ちゃんが誕生していることを知る。
その中のひとつが静岡県沼津市に在る伊豆・三津シーパラダイスだ。愛くるしいアザラシの写真がタイムラインに流れてくるたびに会いに行きたいという気持ちが募る。
行くしかない ―――
そう決意した次の日には夫を道連れにし早朝の電車に揺られていた。
この年は3頭の赤ちゃんが誕生したが、残念ながら1頭なくなってしまい私が訪れた日は2頭の赤ちゃんアザラシがいた。
この施設のアザラシ、アシカ、オットセイが同居する自然飼育場は、入り江にネットを設置して区切った飼育場でまさに自然そのもので、潮の満ち引きで景色が変わるのが魅力的だ。私が辿り着いたときは引潮のタイミングで砂浜が姿を現していた。
砂浜の上に何頭かアザラシが気持ち良さそうに横たわっている。端の方を見ると小さなアザラシが2頭いた。
1頭はまだホワイトコートという白い毛を纏い、もう1頭はホワイトコートがほぼ抜け、その名の通り綺麗なゴマ斑に装いを変えた赤ちゃんアザラシだ。
ここで私はノシャップ寒流水族館で受けたものとはまた別の衝撃を受ける。
赤ちゃんアザラシがとても、とても丸いのだ。
後から知ることとなるが、アザラシの母乳は脂肪分が高く、野生下においては乳離れしたあとに自力で魚を捕れるようになるまで時間がかかることから、その間も体力が持つように栄養分を体にたっぷりと蓄えておくのだという。
飼育下においても、人の手から魚を食べられるようになるまで時間がかかるためこの蓄えは大変重要なものであると。
ホワイトコートがほぼ抜けた赤ちゃんアザラシは、その日お会いした飼育員さんの話によるとどうやら離乳間近なのか、もう離乳したのだろうと説明を受けた。
そうなると、この時が体重のピークだったのかもしれない。
もう1頭の赤ちゃんアザラシも、ホワイトコートを纏っているとはいえ大きかった。まだ母アザラシが授乳していたので更に大きくなると思うと胸が熱くなる。
そんな丸いアザラシ達を見て、私のアザラシ熱は益々上昇していくのであった。

のちに「いずみ」と名付けられた。現在はアクアワールド大洗にいる。

のちに「おはぎ」と名付けられた。
新たな出会い② 人工哺育のアザラシ
そこから1週間ほど経った日、SNSのタイムラインが朝からザワついていた。どうやら新たな赤ちゃんアザラシが誕生したらしい。
しかし、母アザラシが子育てする様子がなく人工哺育に切り替わったとのことだ。
アザラシにも育児放棄があるのだと、またもや初めて知ることになる。人生は常に学びの連続だ。
赤ちゃんアザラシが誕生したのは秋田県男鹿市にある男鹿水族館GAO。
秋田県は過去一度も訪れたことがなく、上空を飛行機で通過するか新婚旅行で乗ったトワイライトエクスプレスで寝ている間に通り過ぎたくらいだ。
どうやって行ったらいいのかも知らない。いや、陸が続いているのだから行こうと思えば車で行けるのだが。
生まれて早々に投稿された公式YouTubeの動画に釘付けになる。
この子にどうしても会いたい。
その気持ちは、『行くしかない』という結論に繋がるのに時間はかからなかった。
すぐさまその週の飛行機を予約する。この時もまた、夫を道連れにして秋田へ飛んだ。信じられないことに日帰りだ。
レンタカーのハンドルを握り2時間弱、ようやく辿り着いた目的地は風光明媚な里山を抜けた半島の先に堂々と建っていた。
高鳴る胸の鼓動を感じながらひれあし’s館に足を踏み入れる。この先に噂の赤ちゃんアザラシがいるのだ。
階段を上がり、アザラシプールの柵に近付くと、小さな白い生き物が横たわっている。いた、あの子だ。
私はここで3度目の衝撃を受けることになる。
つい先日静岡でみた丸々とした子たちとは全く違う、なんとも細く弱々しい赤ちゃんアザラシが寝ていた。(※実際には出生時の体重が11kg超えと平均以上だったが、とても細く見えた)
目を覚ますと、ワアワアと鳴いて懸命にガラス柵に吸い付く。お腹が空いているのだろうか。
事前にYouTubeで見た姿と然程変わらないはずだが、実際に見る姿は想像していたよりずっと、小さかった。
給餌の時間に、飼育スタッフから生まれたばかりの赤ちゃんアザラシの説明がある。
人工哺育であること、今後生き延びることができるかどうかは半分くらい、と。
弱々しく鳴く姿に、どうか無事に大きく育ってほしいと願わずにはいられなかった。
―――この小さなアザラシが、数年後目を疑うほどに大きく成長することになるとは、この時はまだ誰も知る由もなかった。
先日の体重測定では2歳にして90kgを超えたようだ。アザラシは夏に向けて体重を落とすが、そんなことは関係なしに大きく育っている。
あの日、弱々しい姿でガラス柵を吸っていたアザラシは、よく食べてよく怒り、その年に生まれたどのアザラシよりも大きく成長した。
そして今も男鹿半島の先に建つ水族館で沢山の人々を魅了し続けている。
もちろん、私も魅了され続けているひとりだ。

のちに「ターボ」と名付けられた。
ふと気付けば、私もアザラー
2023年から、隙あらば各地のアザラシに会いに行く日々が続いている。
赤ちゃんアザラシがきっかけだったものの、今では大人アザラシだって大好きだ。魅力を語り始めたら止まらないだろう。
元々動物が好きで、特に北海道にはよく足を運んでいた。
その中で紋別や野付、水族館や動物園でアザラシをよく見ていたのだから、アザラシの魅力に気付く場面はたくさんあったはずなのに、なぜもっと早くアザラーになっていなかったのかが悔やまれる。
とはいえ過去には戻れないのだから、国内で野生でも飼育下でも見られる今の環境に感謝し、引き続きアザラシを愛でていきたい。
おわり

